修業先は大阪・堺筋本町の理容マコ。オフィス街の立地なので平日営業、土曜は夕方閉店・日祝休みの店でした。
その半年後に、兄がここ萩の台駅前で開業して忙しい日々が始まったんです。修業中の僕も助っ人として、土曜の夕方萩の台に帰って手伝い。実家に泊まって日曜も手伝い。泊まって月曜にマコ出勤という週勤7日、週80時間労働という日々でした。
しかし、実を言うと、週末に実家に泊まれるのがうれしくて苦ではなかったんですよね。っていうのもやはり、新しい環境ってなにかと辛いわけで。住み込みに比べると、実家ではご飯は食べっぱなしでいいし、風呂も勝手に入るし、悪い仲間もいてるわけですしね。 週7勤でも維持できたのは、実家での週末があったからかも、と今思います。
ある日、実家の今で伸びてる自分に母から「なんか飲むか?」って聞かれた時に、母親のありがたさを噛みしめたのを覚えてます。
初任給で、植物が好きな父に小さな松の鉢植え。手荒れひどい母にクリームと手袋買ったんです。その時はもちろん喜んでもらったんですが、 1年ぐらいたって実家の父の店に顔出したら、いくつかある植木鉢の中に若い目の松があって、
「これどうしたん?」って聞いたら、
「これな、ごはちの松っていうねん。」
「ごはちってなに?」
「58歳の時に圭三からもらったから、58の松って名前つけてんねん」
親思う 心に勝る 親心 この句の意味が、心まで染み込んだ修業時代1年目でした。