行かなきゃリスト・尾道

SHIN'S BLOG
行かなきゃリストの上位の街、尾道。

 

映画と坂とお寺と猫の街。まぁ、ぼくは映画が一番興味あったんですが、行ってみると深くて楽しい街でした。

山陽道経由で4時間。福山西インターで降りて西進するとほどなく尾道市街へ。尾道市役所の駐車場に停めるとてくてくするのに便利です。

尾道ラーメン食べた後、定番の千光寺ケーブル

こりゃぁ足元がすぅっと怖いかも。しかしまぁ、海から山が近くて見れば見るほど平地が少ないお土地。南生駒もかなり狭いんですがこちらは狭い上に戸数が多いんでひしめき合ってる感じです。路地も狭~い。

仏教のへの信仰心が昔から強く、お寺だらけ(25箇寺)なんです。そこには、のちに述べる驚くべき理由。

古民家カフェでエスプレッソいただいてたら、めっちゃ面白い本!「日本歴史地図 昭和6年発行」これは引き付けられます!欲しい!!!おもわず

僕「これ譲っていただくこと出来ますか?」

店員さん「いえ、出来ません」

ま、そりゃそうだ。(後日古本屋で買いました)

山から下りて来て尾道映画資料館

「東京物語」「転校生」「男はつらいよ」、、、あまたの作品が撮影された尾道の街。それらを当時の写真と共に一挙に展示されてます。館内撮影禁止なので、見たい人は行くしかないです。

隣りにある「尾道歴史博物館」。

ちょいと入ったら客は私たち夫婦だけ。受付の初老の男性は歴史にお詳しい方でちょっと聞いたらガンガンお答えが返ってきます。そんなに興味あったわけじゃないんですが、仏教との関わりの歴史を聞いて食いついてしまいました。

尾道には、大化元年(645)以前にお寺(浄土寺)があったんです。朝廷や武士が普請したわけじゃなく、庶民が建てたんだとか。これは凄いことで、寺だらけの奈良県人にとってピンときませんが、奈良の寺は天皇が建てたものが大半。京都も滋賀も、天皇や武家が、支配の手段や自らの権威を高めるためなどの理由からお金を出して建てられたのがほとんど。

しかし尾道は違うと。1400年も前にそれほど尾道の町人は財力があったってことなんです。平地は昔から無いに等しいので農業は出来ません。漁業か林業はあったんですが、主な財源は流通業。九州と近畿を結ぶ海路は今でいう国道一号線みたいなもんでした。その地形から、絶好の寄港地として人と物が集中したんですね。要衝で町人が大儲けって構図は江戸時代の近江商人と同じような理屈でしょう。

そして現在も栄え続けているのには、もう一つの理由。古い寺や町屋が燃えなかったのは戦災が無かったから。広島や呉は造船所を焼かれて戦後に作り直されましたが、尾道は造船所があったのに爆撃を受けずそのままなんです。

「戦後に朝鮮動乱が始まったでしょ。その頃、尾道の造船所にドック入りする米艦が行列作ってたんです。もしかしたら米軍は、このことを見越して尾道に爆弾を落とさなかったんじゃないか」と、受付の男性。歓楽街は米兵の慰安のためににぎわってたというし、あながちハズレじゃないでしょうね。

 

と、1400年以上途切れのない街、尾道の歴史を味わえたいい旅でした。行かなきゃリストはまだまだ、信州・出雲大社・太宰府天満宮・知床・奄美大島など残ってます。いつ行けるかなぁ。

 

番外でちょっとだけ。。。

男はつらいよ 第32作 口笛を吹く寅次郎ラストシーン 因島大橋の付け根付近

ってな感じでまたまた遊んできました。